cover

羅生門 - 杉田智和

羅生門-杉田智和.mp3
[00:08.27]羅生門 [00:10.38]芥川龍之介 [00:13.91]「...
[00:08.27]羅生門
[00:10.38]芥川龍之介
[00:13.91]「なるほどな、死人(しびと)の髪の毛を抜くと云う事は、乱暴悪い事かも知れぬ。
[00:23.33]じゃが、ここにいる死人どもは、皆、そのくらいな事を、されてもいい人間ばかりだぞよ。
[00:33.72]現在、わしが今、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸(しすん)ばかりずつに切って干したのを、干魚(ほしうお)だと云うて、太刀帯(たてわき)の陣へ売りに往(い)んだわ。
[00:51.70]疫病(えやみ)にかかって死ななんだら、今でも売りに往んでいた事であろ。
[00:59.41]それもよ、この女の売る干魚は、味がよいと云うて、太刀帯どもが、欠かさず菜料(さいりよう)に買っていたそうな。
[01:12.68]わしは、この女のした事が悪いとは思うていぬ。せねば、饑死をするのじゃて、仕方がなくした事であろ。
[01:27.12]されば、今また、わしのしていた事も悪い事とは思わぬぞよ。
[01:37.49]これとてもやはりせねば、饑死をするじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。
[01:47.87]じゃて、その仕方がない事を、よく知っていたこの女は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろ。」
[02:01.81]  
[02:04.05]老婆は、大体こんな意味の事を云った。
[02:07.57]  
[02:09.13]下人は、太刀を鞘(さや)におさめて、その太刀の柄(つか)を左の手でおさえながら、冷然として、この話を聞いていた。
[02:21.00]勿論、右の手では、赤く頬に膿を持った大きな面皰(にきび)を気にしながら、聞いているのである。
[02:32.19]しかし、これを聞いている中に、下人の心には、ある勇気が生まれて来た。
[02:41.83]それは、さっき門の下で、この男には欠けていた勇気である。
[02:50.73]そうして、またさっきこの門の上へ上って、この老婆を捕えた時の勇気とは、全然、反対な方向に動こうとする勇気である。
[03:05.17]下人は、饑死をするか盗人になるけん、迷わなかったばかりではない。
[03:14.58]その時のこの男の心もちから云えば、饑死などと云う事は、ほとんど、考える事さえ出来ないほど、意識の外に追い出されていた。
[03:29.46]
[03:30.70]「きっと、そうか。」
[03:33.82]  
[03:34.94]老婆の話が完(おわ)ると、下人は嘲(あざけ)るような声で念を押した。
[03:42.47]そうして、一足前へ出ると、不意に右の手を面皰(にきび)から離して、老婆の襟上(えりがみ)をつかみながら、噛みつくようにこう云った。
[03:59.77]
[04:00.80]「では、己(おれ)が引剥(ひはぎ)をしようと恨むまいな。己もそうしなければ、饑死をする体なのだ。」
[04:10.40]  
[04:11.53]下人は、すばやく、老婆の着物を剥ぎとった。それから、足にしがみつこうとする老婆を、手荒く死骸の上へ蹴倒した。
[04:25.76]梯子の口までは、僅に五歩を数えるばかりである。
[04:34.51]下人は、剥ぎとった檜皮色(ひわだいろ)の着物をわきにかかえて、またたく間に急な梯子を夜の底へかけ下りた。
[04:48.61]  
[04:49.16]しばらく、死んだように倒れていた老婆が、死骸の中から、その裸の体を起したのは、それから間もなくの事である。
[05:02.98]老婆はつぶやくような、うめくような声を立てながら、まだ燃えている火の光をたよりに、梯子の口まで、這って行った。
[05:17.28]そうして、そこから、短い白髪(しらが)を倒(さかさま)にして、門の下を覗きこんだ。
[05:27.87]外には、ただ、黒洞々(こくとうとう)たる夜があるばかりである。
[05:36.04]  
[05:37.58]下人の行方(ゆくえ)は、誰も知らない。
展开